MY HISTORY
わたしのいままで
木村晋次
アーキテクチャー株式会社 代表取締役
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ブラウン管モニター
2008高校生の時に電脳世界についての論文を提出すると目の前で破かれる
中学1年生の時に父親にWindowsMEのパソコンを買ってもらい、Yahooジオシティーズでホームページを作ったり、ポトリスというオンラインゲームをやったり、パソコンの無限大の可能性にドはまりしていました。
高校生になり、パソコンが好きで仲が良かった先生に「電脳世界」というタイトルでこれからのIT(当時はITという言葉も浸透していなかった)について、A4用紙4枚綴りで提出した。
成績がよくなったので、先生に自分がやっていることを認めてもらいたくて渡したんだと思うけど、結果は目の前で破かれた。
「こんな事してるから成績が悪いんだぞ」とのことで、破いたらしいけど、絶望よりも「あぁ、こういう人が取り残されるんだ」という気持ちになった。
その時の気持ちが今の「愛を持ってコードを書く」という信念に繋がっている。感謝しています、あのとき破いてくれて。 -
大学時代にリリース
2011ゲーム・アプリ開発で居場所を見つける
ホームページを作ったり絵を描いたりすることは好きでしたが、ずっと「パソコンを使って仕事がしたい」と思っていました。
大学1年生の時にRPGツクールでゲームを作ったり、iPhoneアプリを作ってアップルストアで出しました。
当時はiPhone4が世に出始めたときでアップルストアに配信されているアプリはほとんどなかったので、何万人という人に見てもらって嬉しかった記憶です。
まさに「これだ!」と思い時間を持て余していた時期でもあったので、徹夜で制作に没頭していました。
最初に制作したものが初代の「寝かし彼女」です。イラストは兄が担当し、声はインターネットで探して東京で活躍している声優さんにお願いしました。
「戦国時代の謎」という歴史の都市伝説を読めるアプリや、「i社畜」というサラリーマンをモチーフとした放置ゲームなども作りました。
「僕のおばあちゃんがこんなに強いわけがない!」というアプリはおばあちゃんを強くしていくアクションゲームです。 -
父親との衝突
2012社会に出ることの重要性
アプリをリリースして手元にある程度のお金が入ると、やはり社会に出ずに自分はこのままフリーランスとして開発を続けようと思っていたが、公務員の父親から「天狗になるな。社会に出て一生懸命仕事をしろ。いろんな人と関わり、社会の流れを知れ。そうでないと人の痛みが分かる人間になれないからいずれ苦労する。」と言われ、就職活動をすることになる。
新卒で入社した会社では人事部門に配属してもらい、人前に出ることのなかった自分の性格がとても変わったように思う。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」ということわざの重みを知りました。 -
画面の向こうから、人の真ん中へ
2014結婚、出産、そして離婚
社会を知り、人と向き合う中で、僕自身の私生活も大きな転換期を迎えました。
結婚、そして新しい命の誕生。
自分以外の誰かのために生きる喜び、守るべきものがある強さを知ったのと同時に、家族という最小単位の「組織」を維持していくことの難しさにも直面しました。
そして、離婚。
それは決して「失敗」という言葉だけで片付けられるものではありませんでした。お互いの人生を尊重し、別々の道を歩むという決断。その痛みを知ったことで、父が言っていた「人の痛みが分かる人間になれ」という言葉の真意が、ようやく自分の中で腑に落ちたような気がします。 -
どん底で見る景色が一番美しかった
結婚で「愛」を知り、出産で「命」を知り、離婚で「孤独と自立」を知る。
いま、私は「AI駆動開発」や「システム開発」といった、最先端の技術を扱う会社を運営しています。
しかし、僕たちが提供しているのは単なる「コード」ではありません。
人事の現場で学んだ「人を動かす難しさ」や、人生の節目で知った「人の痛みや喜び」。それら全ての経験が、僕の作るシステムの根底に流れています。使う人の気持ちに寄り添い、その先の誰かを幸せにするための技術。
父に教えられ、社会に揉まれ、人生に刻まれたこの感性こそが、当社の最大の強みであると自負しています。
これら全ての経験は、決して無駄な遠回りではありません。
どれか一つが欠けても、今のあなたという深みは存在しなかったはずです。
傷跡はいつか知恵となり、流した涙は他者への優しさに変わります。どのような状況にあっても、「今、この瞬間から自分の足で歩き始める」ということ。その勇気こそが、人生における真の勝利と言えるのではないでしょうか。